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2023年12月度のコメントを表示します。

日 付:2023-12-01
投稿者:真鍋心平太
タイトル:武智三成さんからのお手紙
武智三成さんから天守閣会報12月号に句集「人生は牛歩」をご紹介したお礼の手紙を頂いたので一部をご紹介します。
「私は札幌から南まで投句や句会に参加しました。途中でやめたのもありますが、この度その各所から心暖まるお手紙を頂き、
自分の勝手を受け止めて頂き何とも言えない感動を頂きました。
天守閣でも紹介を頂き短句の将来にぽっと可能性を覚えました。
良き日がくることを願いましょう。
「遥か」という題に”山村の学友遥かなる会話”を出しました。
終戦後私が居た山の学校48人から東大生が一人出ました。
当時は野球ブームで彼はショートで隣村との試合に一緒に参画した仲です。
長年音信がなかったのですが最近消息を知る機会があり、彼も俳句の方面で頑張っていることを聞き勇気を貰いました。」
とあり、最後に
「今年も残すところあとひと月となりました。
来年もお互いに身体を愛いながら頑張ってみましょう。
と結ばれています。
三成さんの御歳からすると小学校卒業から80年ですが、80年の歳月を経て小学校時代の友達から勇気を貰える。
長くひとつのことに打ち込むとこういうことがあるのですね。
句集のタイトル「人生は牛歩」にふさわしいお話だと思いご紹介する次第です。



日 付:2023-12-24
投稿者:真鍋心平太
タイトル:どくろ杯シャンジュ・シュバリエ西ひがし
大学で教鞭をとって居られ学期末試験の監督や採点でお忙しく12月例会はお休みだった平川柳さんより「シャンジュ・シュバリエ」の記事をご覧になって

>金子光晴の回想録『どくろ杯』に確か「夫婦の間の興味は、三年が長くて七年というところが寿命で、あとは惰性で、それからはシャンジュ・シュバリエをすれば」という記述がありましたね。

と、メールを頂いた。あらためて探してみると確かに「・・・・、それからはシャンジュ・シュバリエをすれば人生はもっといきいきしたものになるのではないか」と書かれていた。
「どくろ杯」「ねむれ巴里」「西ひがし」という自伝的小説三部作が金子光晴・森美千代夫婦の海外放浪の7年間の物語なのだが、この「ねむれ巴里」を「シャンジュ・シュバリエ」とおきかえると一句出来る。

 どくろ杯シャンジュ・シュバリエ西ひがし

第三者には意味不明な句だが、私にとっては川柳を通じての交流から生まれた忘れらない一句になる。こうしてお互いに好きな作家のことについて話が出来る時間はこの歳になると大変貴重なもので、川柳を通じてこういう交流が出来るだと言いたくなって投稿させて頂く次第。


日 付:2023-12-24
投稿者:平川柳
タイトル:どくろ杯シャンジュ・シュバリエ西ひがしの感想
真鍋 心平太さんへ

素敵な川柳、拝見しました。
ありがとうございました。

金子光晴の詩には川柳にも通じるものがあり、学生時代に川柳を始めた私にとって、
金子光晴の詩は私と川柳を身近なものにしてくれた忘れらない詩です。

心平太さんにとっても金子光晴は詩というものを身近に感じ、詩を知るようになった詩人と伺いました。

私は心平太さんの「どくろ杯サンジュ・シュバリエ西ひがし」に深い感動を覚えました。

「どくろ杯」も「西ひがし」も、いずれも金子光晴の作品の題名ですね。

「西」の真鍋心平太さん、「ひがし」の平川柳。共に金子光晴の影響を受け、川柳を探究する川柳人。その二人の出会いに金子光晴が存在することに深い感動を覚えました。


「ねむれ巴里きみもコクリコ僕もコクリコ」


金子光晴と妻・森三千代も与謝野鉄幹と妻・与謝野晶子も共に巴里で過ごした日々を文学として残していますね。 


※「コクリコ」はフランス語で「ひなげし(雛罌粟)の花」を意味する語。

与謝野晶子が巴里にいる与謝野鉄幹に逢いに巴里に行き、フランス滞在中に作った短歌に「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟」があります。

 上記の「ねむれ巴里」の拙句は金子光晴の作品の題名を上五に置いた、与謝野晶子の短歌の本歌取りの川柳です。